プロフィール・木村綾子について~就活まで

 

自分を大事にする習慣作りの専門家・セルフケアクッキングトレーナーの木村綾子です。

 「週一回自分のために料理をすればなりたい自分になれる」

「自分を好きになる習慣としての自炊サポート」

をテーマに、

発酵食品教室、食事カウンセリング、パーソナル料理レッスン(準備中)などを行っています。

 

 

 

 前職は資産運用会社の事務職でした。2008年のリーマンショックで希望退職となり失業しました。

それをきっかけに自分を見つめなおし、身内の自死以来関心を持っていたメンタルヘルスについて勉強。産業カウンセラーの資格を取得しました。

趣味で通っていたマクロビオティックという玄米菜食を中心とした食事の知識から、心の健康には食事が大事と実感。「食を通じて心の健康に貢献する」をミッションにしようと決意しました。

2009年からプライベートサロン「セルフケアキッチンQooki」をマクロビオティックの料理教室としてスタートさせました。以降発酵食品教室なども多数行うようになりました。 

転勤族の娘の習性として身についた人見知りが一切ない(人見知りしていたら生きていけなかった)性格は、カウンセラーの仕事をすることに役立ってます。

ものを捨てるのが得意な未練がましくない性格も、転勤族の娘のとして身についたものかな?

 

趣味はランニング(フルマラソン完走経験あり)、パン作り、家庭菜園、など。

 

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自家製酵母ジュースで作った中種で発酵させたパン、無農薬甘夏の皮で作ったマーマレード

 

食に関してはいずれ自給自足的な生活をすることを目標に準備中です。

 

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発芽したビーツと小カブ

 

私の目標は 自死者ゼロ社会を作ることです。

ここから私のストーリーをお話します。興味を持ってもらえたら嬉しいです。

 

 

男尊女卑の家に生まれた丙午女子

 私は1966年4月5日生まれです。 この誕生年、誕生日は私のパーソナリティーにかなり影響を与えています^^

1966年、、、いわゆる「丙午(ひのえうま)」生まれ。

時代は高度経済成長期であり出生数は毎年増加していましたが、出生数も合計特殊出生率もがくんとへこんでいる 66年、それが私の産まれた年です。 

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合計特殊出生率

なぜ丙午は出生数が少ないのか?

丙午生まれの女性は男を食い殺すという伝説(一応実話がもとになってはいるらしい)があり、私の親世代はそれを信じて産み控えをした人がいっぱいいたのです。なんの根拠もない迷信でしかないので、信じがたいことですが、出産を周囲に止められた人も多かったらしい。

 

私は首都圏近郊の団地育ちで、当時他の学年は一学年10クラス越えもざらでした。

が、自分の学年だけは8クラスとか、極端に少なめでした。国全体では30~40万人少なかったので当然です。

 

なので統計データでも「1966年を除く」とされることが多かった。

 つまり丙午生まれだということで何かにつけて特別扱いが多かったのです。

特に女性は例の「食い殺す」伝説のせいで「丙午の女だから」と言われました(笑)生まれながらにして偏見にさらされていたというわけですね。

それに反論するため、抵抗するためにさらに気が強く、個性的になっていってるなと周囲の同級生を見て思います。自分もご多分にもれないかな(笑)

人数が少ない分、同い年とわかると急速に親近感を感じるのはみんな同じみたいです。 

 

それから4月5日という誕生日。クラスの中では大体1番早い生まれ日でした。1967年3月後半生まれの子とは、同級生といえど1才近く違います。

私は子どもの頃、同い年の子に比べると何をやってもいい成績がとれてました。体格がモノを言うスポーツ面で負けることはまずなかったし、勉強も・・・。ピアノを習っていたから音楽の成績もよかった。学級委員とか学年の代表に選ばれることもよくありました。

幼稚園くらいの年齢までって月齢程度でもかなり発達の違いがありますよね。私が優等生だったのは単に4月生まれなだけで、別に優秀だったわけでもなかったと今はわかりますが、当時は「自分は優秀な人間」と同級生を見下している嫌な子どもでした(爆)

 

 きょうだいは4つ下に妹が一人。

両親にとって初めての子であるだけでなく、母方の祖母、曾祖母からすると初孫、初ひ孫でした。また父には男兄弟がいないので、父方の方では初めての内孫でもありました。

 

この話をすると「とっても可愛がられましたね」と言ってくれる人と「プレッシャーだったでしょ」と言う人がいます。どちらもあたり。

 

内孫なんて・・・と思う方も多いと思いますが、父の地元に済むいとこが「普段小遣いくれたことなんてないケチなじいさんが、アヤの顔を見るなり1万円札を渡したからびっくりした」と未だに冗談半分言うくらい、祖父は外孫と内孫に差をつけていたのです。この手の逸話?は他にもいっぱいあります。親しみあるのは普段から近所に住んでいる、父の姉妹の子のはずなのに。

 

外孫と内孫、つまり息子に生まれた孫か娘に生まれた孫かを区別するという考えは、家父長制の名残です。家父長制は長男重視で男尊女卑な制度です。

父は姉4人に妹一人というきょうだい構成ですが、父の姉妹である私のおばたちは地元の中学~高校卒程度と、大した学歴を持っていません。女に学問はいらない、という祖父の考え方があったからです。父だけが浪人させてもらった上東京の大学に進学させてもらっています。そのことから分かる通り、男というだけで価値があると考える人達でした。

だから当然私が生まれてくるときも男子であることが期待されていました。大きくなった母のお腹を見て祖父は「きばっていい男の子を生んでくれや」と言ったといいます。結果父に生まれたのは女子ふたりなので、祖父はさぞ落胆したことでしょう。

 

それでも息子に生まれた孫は娘に生まれた孫よりかわいがるわけです。先に話したとおり、いとこたちが(冗談とは言え)未だに話題に出すほど、それは顕著でした><

可愛がられるということはそれだけ期待も持たれているということであり、そのことも子ども時代の自分はひしひしと感じていました。小中学校時代、私はいわゆる「優等生」として過ごすわけですが、それは「祖父たちに女の子だからといってがっかりしてもらいたくない」という気持ちや、女子だって男子並みにやれることを見せたくて、いろんなことを犠牲にしながらがんばっていたという理由も大きいです。

 

丙午女子、牡羊座、長女、A型ーーというと「活発で気が強く、真面目ながんばりやさん」そんなイメージかと思いますが、そのとおりの少女時代でした。 もとからの性質を環境への反発が後押ししましたね。

 

核家族の団地っ子、一見典型的な中流家庭だったが

 

先に少し触れましたが、生まれ育ったのは横浜市郊外、東急田園都市線沿線の団地です。

当時の日本は高度経済成長真っ只中で、全国に住都公団がサラリーマン向けに団地を作っていた時代・・・私の父母も他の多くの同世代のように、1968年に当時2才だった私を連れて引っ越ししたのでした。

 会社員の父と専業主婦の母に私、妹の四人家族で、3DKのその団地に20年以上住みました。

父も母も郷里は愛知なので祖父母と触れ合うことも日常にはない、典型的な核家族でした。小4~中3まで父の転勤で名古屋で暮らしましたが、そこも名古屋市郊外のベッドタウンであり、環境は似ていて、周囲もみないわゆる「中流」家庭ばかりでした。 

 

私の家も一見ごく普通の中流家庭でした。

しかし実際にはそうでもなかった。

今で言うDVがあり、児童虐待がある家庭だったのです。

 

父は怒ると母や私たち姉妹に手を上げる人でした。

殴られないためには親の顔色を常に伺い、いい子でいるしかなかったです。実際には父が怒ることに一貫性は無く、機嫌が良ければ見過ごされることが機嫌の悪いときには怒りの対象になったので、どんなに父が怒らないように努力してもあまり意味はなかったのだと今になればわかります。が、当時は必死でした。

身体的な暴力だけでなく「誰に飯を食わせてもらってるんだ」という言葉の暴力もありました。

自力で働いたり食物調達を出来ない子どもにとって、それは本当に辛い言葉でした。

父は私の親世代の人には珍しく、何度も転職をしています。会社の倒産など不運もありましたが、人間関係などでの場合もあったようです。母はそういう父を「無責任」「我慢が足りない」と嘆き、金策に走ったりパートに出たりしていました。祖母に借金の電話をしている母の後ろ姿は、今も胸に痛い記憶です。

 

母は父に暴力を振るわれているという点で私と同じ被害者であったけど、「言うことをきかなければご飯を作ってあげない」などの脅しを言ったり、「あなた達が悪いことをするからママもパパに殴られる」とさり気なく罪悪感を子に植え付ける人でした。

 

母からは「子どもがいるから離婚できない」とも言われました。

父からは「妻子がいるからやりたくない仕事をしなくてはいけない」とも言われました。

 

そんな二人にはさまれ、私は

「自分がいるから父は仕事を辞められないんだ」

「母は離婚すれば殴られずに済むのに離婚しないのは私がいるからだ」

と、父母を不幸にしているのは自分だと思うようになりました。

 

祖父の家での男尊女卑体験もあり、自分はいないほうがいい存在なのではないか、という気持ちを常にどこかに抱えている少女時代でした。

 

理想と真逆な高校生活、マジメな女子が集まる女子大時代

 

小中と公立に通いましたが、中3の夏休みという大事な時期に転勤で横浜に戻ることになりました。

受験科目の違いや受験のシステムの違いで公立高の受験にはハンデが大きいとわかり、親の意向で高校は私立を志望することになりました。

かなり必死に勉強しましたが、難関の第一志望(某大学付属高)には合格できず、第二志望の中高一環教育の進学校に通うことになりました。

 

高校ではがんばってもがんばっても成績上位になれなくなりました。試験で選抜された一定以上の成績の人だけが集まっていたのですから当然です。

受験の失敗と高校での成績不振は、優等生であることが当たり前だった自分が初めて劣等感を味わった経験でした。

その劣等感もきつかったけど、もっと嫌だったのは厳しい管理教育の学校だったことです。学校生活のすべてが受験を中心に組み立てられていて、厳しい校則があり自由はまったくなかった。修学旅行も体育祭も家庭科の授業もなく文化祭も形だけという、3年間予備校に通ったような高校生活でした。

私は名古屋で地元の公立高に進学した先輩から話を聞いて、自律を重んじる自由な校風の高校生活を夢見ていました。だから管理教育を売り物にする学校に進学した事自体が間違いだったのです。でも受験の際は校風などまったく考えず、ただ自分の成績で入れる学校の中で少しでも偏差値の高い学校に行くことしか考えてなかった。そして理想とは間逆な高校生活になってしまった・・・でも退学して他の学校に通いたいと親に言い出す強さも、当時の自分にはありませんでした。

いやいや通った高校時代に楽しい思い出はほとんどありません。

 

ただひとつ、いいことがありました。女子だけの50人ひとクラスという特殊な環境の中での人間関係は非常に密なもので、お互いをよく知る友人ができたこと。後に私が変わるきっかけになった友人は、高校時代にできた友達です。

 

受験勉強することしか許されない高校の中で、挫折を感じながらも必死に勉強しましたが、大学受験でもまた第一志望には合格できませんでした。

それでもなんとか自分なりには満足できる女子大から合格通知をもらえたので、進学の際大きな不満はありませんでした。

 

が、通ってみるとまた思い描いていたキャンパスライフとは違っていてがっかり。

 

先程自分の子ども時代を「活発で気が強く、真面目ながんばりやさん」と書きましたが、そんな女子ばかりが集まっていたのです><

少人数の大学だからサボれば目立つし、そもそも授業をサボろうなんて考える子自体ほぼいない。

必須科目も多くて授業の選択の幅も少ない。大学生活ってもっと自由度が高くて楽なものだと思っていたのに・・・(爆) 

私は本来自由なことが好きなんですね。そこに自己責任や自律が伴うとわかっていても、自分で自分のことを決めるのが好き。

だけど結局、高校に続き大学でもそういう環境を手に入れることができなかったのです。

 

やりたいことがない、楽しめないーその理由は生育歴?

 

大学一年の時にキャンパスライフを今ひとつ楽しめなかった理由はもうひとつありました。

それは「やりたいことがない」ことでした。

不自由な高校生活を経て、受験勉強に何万時間も費やして大変な思いをしてやっと手にした(想定よりは不自由だったけど)自由な大学生活。それなのに「やりたいことがわからない」という事実に直面します。

授業の選択ももちろんですが、サークル活動にも1年のときは入れませんでした。もともと知り合いだった年上の知り合いが東京女子大に通っていて、その方の入っていたサークルには入れていただきましたが、他には何をしたらいいのかわからない。

 

周囲の友達は他大学と合同のテニスサークルなどに入って楽しそうにしてるのに、そういうところに飛び込めない自分がいました。テニスをしたいのかというとそうじゃないのだけど、じゃあ何をしたいのかというとなにもない。

 

かといってやりたいことが特にない自分を肯定することもできない・・・。

 

2年生になってからやっとジャズダンスと華道のサークルに入り、それは楽しい思い出ですが、この「やりたいことがない=自分がない」ことに気づき、苦しんだ最初の経験がこの大学1年の時だったと今思います。 

 

やりたいことがない。やりたいことがわからない。

 

それが如実に現れ自分を苦しめたのが就職活動のときでした。

 

 

 

プロフィール2~アダルト・チルドレンの自覚を持つまで

 へ続く

 

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発酵食品料理教室


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自炊は自分を幸せにする最強の手段です。自分のために料理を作り、それをいただく。それは自分を大事にいたわり、愛する作業だから。 自分を大事にする食事が作れたら、他の誰かに喜んでもらえる食事も必ず作れるようになます。自分を幸せにできたら、他の誰かも幸せにできます。その結果、自分を大事にしてくれる誰かもみつかるのでは・・・♪ 

 

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